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アソビシステムができるまで 前編 〜代表・中川悠介の学生時代、そして会社設立へ〜

原宿を拠点に世界へ向けて日本のポップカルチャーを発信してきたアソビシステム。いかにして会社は設立され、現在の活動へと至ったのか。設立以前から、アソビシステムのファンだった筆者が、アソビシステム代表の“あーみー”こと中川悠介氏に、学生時代のことや会社設立のあれこれ、今だから話せる秘話を聞いてみました。

取材&テキスト:
ふくりゅう(音楽コンシェルジュ)


みんなで集まって遊ぶのが好きでした

—— 今日はアソビシステムの『note』がオープンするということで“アソビシステムができるまで”をテーマにお話を聞かせていただきます。あーみーさん、もともとどんなキッズだったんですか?

中川:とにかく友達で集まって遊ぶのが好きでしたねぇ。中学校は和光で、高校は都立の目黒に通ってました。

—— バンドもやっていたんでしたっけ?

中川:高校からずっとやってました。でも、バンドもDJも、今となってはやっていたってほどではないですね。自分でイベントをやるためっていうか。人を集めるためにやっていた感じで。学園祭も体育祭も好きでした。今の仕事も、そこからはじまっていると思います。

—— 影響を受けたイベントってありましたか?

中川:高校の頃はハイスタ(Hi-STANDARD)とか、メロコア全盛期だったんですよ。『AIR JAM』とか『DEVILOCK NIGHT』とか好きで。アパレルと音楽が複合的に混ざって、ストリートカルチャーが根付きはじめた頃で。裏原カルチャーも好きで、藤原ヒロシさんは憧れでしたね。

—— 接点があった人なんていました?

中川:いえいえ、独自に追いかけていました。そういえば、はじめて事務所を借りたのはBOUNTY HUNTERの上のオフィスで。原宿が好きだったんですよ。

—— オフィスを構えるなら、やっぱり原宿だったんですね。

中川:当時、渋谷ってギャルとかパラパラが目立っていた時代で。自分の中で渋谷じゃなかったんですよね。

—— 学生時代はアルバイトとかしていたんですか?

中川:GAPでバイトしてました。

—— 原宿の?

中川:いえ、新宿でした(笑)。バイト仲間で友人も増えましたね。音楽的なバイトだと、フジロックの駐車場の受付を2,3年したり。そのあと、苗場でフジロックのバーベキュー場とかのお店を手伝っていました。会社設立前の話ですね。

音楽のジャンルではなく、人で集まっていた

—— あーみーさんのターニングポイントといえば、2002年から5年間続けていたクラブイベント『美容師ナイト』(後の『RED by t.o.t』および『BLACK by t.o.t』)だと思います。そこへ至るきっかけは?

中川:高校の頃も卒業イベントをライブハウス借りてやったり。当時、渋谷のBAR SIFTYとか下北沢のBasement Barで小さなイベントをやっていたんです。そこから少しずつステップアップしていきました。

—— 当時、イベントはどんなジャンルやDJだったんですか?

中川:ジャンルではなく、人で集まってました。HIPHOPもテクノもごちゃ混ぜで。高校の仲間とか、大学の友達とか。音楽をジャンルで切ったりはしなかったですね。

—— それはたしかに、いまのアソビシステムらしさにも繋がっていますね。会社設立前で、忘れられないイベントってあります? 

中川:代官山AIRではじめた『trick or treat』かな。あと、学生を集めてファッションショーをやっていた『5iVESTAR』ですね。

——『trick or treat』は平日の夜に1,000人を集客した伝説のモンスターパーティーでしたね。『5iVESTAR』は当時国内最大級の学生参加型のイベントで。あの規模のイベントをやるってかなり大変ですよね?

中川:振り返ってみるとそうかもしれないんですけど、当時は大変だと思っていませんでした(笑)。やりたくてみんな頑張ってましたから。うん、結局は人が集まることが好きだったんですよね。

今も昔も自分たちがやりたいことをやっている感じ

—— クラブが空いていたと言われる月曜日に、敢えて火曜日がお休みの美容師に絞って開催する『美容師ナイト』というコンセプトを思いついたきっかけは?

中川:当時、美容学生の友人が多かったんですよ。あと、当時まだクラブは敷居が高くて週末は借りれなかったんです。月曜日だったら貸してもらえたんで、これは美容師ナイトだなって。

—— アイディアですね。そこから会社組織としてアソビシステムの設立へと至ったと。

中川:実はその前にひとつ失敗してしまった会社があったんです。それもあって会社化しないといけなくって。当時、まだ起業ってベンチャーとかスタートアップとか、今みたいな感じではなかったんですよ。取引的に会社化しないといけなくて。信用の問題ですね。会社化って、手段のひとつでしかなかったんで。

—— なるほどねぇ。そんななか、軽やかなネーミングとなった“アソビシステム”という会社の名前はいかにして生まれたのでしょうか?

中川:高校時代から一緒にイベントをやっていたクルーというか仲間たちがいて。そのときに、イベント名にAdobeのロゴ“アドビシステムズ”をもじって“アソビシステム”って名付けて。当時、ヒップホップ・カルチャーでそういうのが流行っていたんですよね(笑)。

—— そうかぁ。はじめて聞きました!

中川:あんまり話したことなかったかもね。

—— 会社設立時はどんな雰囲気だったんですか? 今やアソビシステムも大きな組織になったと思いますが。

中川:今も昔も自分の中では変わらないですね。会社をやっているって意識ではなくて。自分たちがやりたいことをやっているって感じなんですよ。そこだけはずっと変わらないかな!

次回、中田ヤスタカやきゃりーぱみゅぱみゅとの出会いを語る【vol.2】へ続きます。


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