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アソビシステムができるまで 後編 〜会社設立、そして現在へ〜

原宿を拠点に世界へ向けて日本のポップカルチャーを発信してきたアソビシステム。いかにして会社は設立され、現在の活動へと至ったのか。設立以前から、アソビシステムのファンだった筆者が、アソビシステム代表の“あーみー”こと中川悠介氏にインタビュー。今回は会社設立後の所属アーティストとの出会い、そして、いま考えていることを聞いてみました。

取材&テキスト:
ふくりゅう(音楽コンシェルジュ)

前編はこちら


事業計画とか3年後の計画とか全くなかった

—— アソビシステムがアーティストのマネジメントを始めたことは大きなターニングポイントだったと思います。会社としては、きゃりーぱみゅぱみゅのブレイクが大きかったと思いますが、まずは、CAPSULEというアーティスト、DJとしても活躍していた音楽プロデューサーである中田ヤスタカさんとの出会いは?

中川:イベントで出会いました。DJで出てもらって面白い人だなって。よく一緒に遊んでましたよ。当時、僕は原宿で古着屋もやっていたので、自然発生的ですね。会社を設立しても事業計画とか3年後の計画とか全くて、ただ、日々を生きていました。

—— 逆説的にいえば、だからこそ日々すごいスピードで変化していく時代の荒波を乗り越えてこれたのだと思います。

中川:そうかもしれませんね。自分たちでレールを決め切っちゃいけないなってずっと思っていました。僕たちのような小さい会社はアメーバのように常に変化していかないと大きな会社には勝てないんですよね。

—— エンタテインメントの会社で憧れる存在ってありましたか?

中川:それこそ、ARTIMAGEとか。Rhythmediaとか、NEW WORLD、elements、D&Nとかみてましたね。先輩方です。クラブ・カルチャーからこう上がっていけるんだって。

—— 接点もあったり?

中川:最初はなかったんですけど、何年かやっていると知り合って呑みの席でご一緒させていただくようになりました。嬉しかったですね。クラブから派生して、こうやって業界を作って育てていくんだなって勉強になりました。

—— 継承されている感じが伝わってきますね。

中川:僕は行ったことないですけどGOLD(東京のクラブシーンの先駆けとなった伝説のクラブ)とか、そこに皆さんいたって聞きましたから。

—— GOLDの影響とか、アソビシステムが銀座でスタートしたミュージックラウンジPLUSTOKYOにも繋がりますよね。

中川:そうですね。影響は大きいです。


原宿系、青文字系としてマネジメントできないかなって

—— 話は戻りますが、アソビシステムはアーティストやモデルのマネジメントも手がけることに。

中川:会社設立前、『5iVESTAR』(国内最大級の学生参加型ファッションショーイベント)に出てもらった読者モデルがいっぱいいて。当時、読者モデルって仕事じゃなかったんですよ。みんな卒業して美容師になったり、アパレルのショップスタッフになったりしていて。それで、読者モデルが仕事になるんじゃないかなって思って、原宿系、青文字系としてマネジメントできないかなって思ったのがきっかけですね。

—— そこから、きゃりーぱみゅぱみゅを音楽系アーティストへ抜擢されたことがすごいですよね。

中川:読者モデルをマネジメントして、その中できゃりーに出会いました。この子だったらいろんなことを出来るんじゃないかなって可能性を感じたんです。

—— 先ずは未成年も来られるように昼間に開催した中田ヤスタカ主宰の音楽イベント『TAKENOKO!!!』からですよね。

中川:そう、その時きゃりーはDJをしていて。

—— そこで中田ヤスタカときゃりーぱみゅぱみゅが出会ったと。

中川:そうですね。イベントの中で自然と話が進んでいったんですよ。

—— そして、きゃりーのプロジェクトは、日本の音楽業界がなかなか成し得なかった海外展開へと発展していきました。

中川:きっかけはYouTubeでした。当時はまだYouTuberという言葉もなくて。戦略的ではなく、日本でいいものを作ったら世界でも伝わるんじゃないかって想いだけで。ワーナーミュージック(レコード会社)と一緒にやれたことがよかったですね。自分たちが分からないをいっぱい教えてもらいました。

—— やりたいことを一緒にやれたってことですね。

中川:きゃりー本人が持っているパワーも凄いんですよ。クリエイターを引きつけて本気にさせていくんですね。

—— アーティストがジャンプアップできる環境をしっかり用意できていたことが勝因だったんだなって、外から見ていて思いました。

中川:あの子自身のパワーがあった上で、音楽やファッションや、ヴィジュアル、デザインなど、みんなの力を足して良さが倍増していったんだと思います。これまでやってきたことの延長線上で、いろんな才能が集まれた結果なんですよね。結果的にそうなっただけで、ずっと僕たちはただやりたいことをやってきたってことだと思っています。


右へ倣えな時代は終わった

—— そして、ここ数年では大規模なオーディションを開催されたり、新たな動きもスタートしていますね。

中川:今感じているのは、会社が設立から10年経って、12年目、13年目となるに連れて変わらないといけないなって思っていて。もっと面白くしたいなって。スピード感が大事ですね。判断力も含めて。

—— そう思ったきっかけのひとつは、個の時代へと向かうインターネットの進化とか?

中川:そうですね。自分たちが世の中に与えるイメージや立ち位置も含めて考え直すタイミングが来ているなって。

——それこそ、イベント以外の事業も、『もしもしにっぽん』というメディアやイベント、インバウンドな民泊や飲食とどんどん広がってきていますよね。今後はアソビシステムをどんな風にしていきたいですか?

中川:そうですね。今回、新型コロナウイルスの一件もあって思ったんです。僕らプロダクションの存在する意味を改めて考えなきゃなって。個の時代であることは間違い無いんですよ。そんな中で、アソビシステムという共同体=コミュニティーがやれることの価値を考えたいですね。僕らって狭間だって思っていて。音楽業界と芸能界の。昔からの流れと新しい流れ、ちょうど間に位置するのかなって。そのつなぎ目である役目というか。僕は今もプロダクションって意味があると思っているんですよ。個の時代で選択肢が増えてはいるんですけどね。右へ倣えな時代は終わったんだなって思っています。

—— 成功例が一辺倒ではいかない時代ですもんね。それぞれに進むべく道、選ぶ方法論があるというか。そんな意味では、アソビシステムというインフラとなるコミュニティー感は価値がありますよね。ジャンルでもなく、築き上げて来たのはカルチャーという。

中川:そうですね。そうだと嬉しいですね。


人が大事ですね。それがアソビシステム

—— それこそこのnoteも、そんな表現者のためのツールというか。

中川:新しい情報発信ですよね。SNSって気がついたらファンの人に見てもらうためのツールになりつつある気がして。noteはファンじゃない人にも知ってもらえる、楽しんでもらえるきっかけになるんじゃないかなって思っています。

—— noteの拡散力ってあるんですよね。メディア×SNSというか、よくできた仕組みで。

中川:僕たちはファンビジネスと、それ以外の開拓する面、両面が必要で。そこはなんか、自分たちがアップデートしていかないといけない未来型プロダクションの在り方なのかなって。僕は個だけじゃ勝てないと思っていて。アーティストやクリエイターごとに“個の時代×○○○”が必要なんですよ。それはそれぞれに必要で。もともと個性は最も大事にしてきましたから。

—— それは分かりやすいですね。さらに、昨今の新型コロナウイルスのこともあって、今後様々なシステムが急激に変わるかもしれないですね。

中川:そういえば、今日全体会議はZoom(クラウドコンピューティングを使用したWeb会議サービス)を使って50人ぐらいでやったんですよ。全然普通にやれますよね。これに限らず、手段は変わっていくのかもしれないですね。考え続けていかないなと。この数カ月は、エンタテインメント業界の正念場ですね。

—— そうですね。

中川:僕らプロダクションはコンテンツホルダーの中心なんです。そこで大事なのはサービスが面白いんじゃなくって、人が面白いってことだと思っていて。サービス・ファーストなのはおかしいんじゃないかなって。そこは変わらないんですよ。プラットホームだけが強い時代は終わるんじゃないかなと思ってますね。

—— たしかに、もっと選択肢のある分散型になりアーティスト・ファーストへなるべきですね。

中川:手段は新しくなっても、本質は変わらないんじゃないかなって思っています。やっぱり人が大事ですね。それがアソビシステムなんだと思います。

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